どりーずブログ

50代主婦。子育て卒業間近の元駐在妻。大学で嘱託職員中。コッカプーやバラや暮らしについて

MENU

アメリカから帰国して12年たちました


こんにちは、どりーです。

今日は7月1日。

12年前の今日、約5年のアメリカ駐在生活を終えて、成田空港に戻ってきました。

毎年この日は感慨深いです。

楽しかったアメリカでの生活と、久しぶりの極暑の日本。

今でも当時を思い返すとちょっとビターな気持ちになります。

 

どりーはこんな人

2017年から大学事務(派遣、嘱託)をしています
2児の母(大学生)で、子育て卒業間近です
5年間シカゴに家族で滞在していました(駐在生活)
ちょっとだけ英語ができます
物忘れがひどい

 

 

楽しかったアメリカ生活

アメリカに転勤した当初は英語もわからないし、友達もいないし本当に大変でした。

車生活なのでいきなり左ハンドルの車で右側車線を運転するのですからね。

ポン太は現地の小学1年生に転入し、わからないことだらけで親子ともに手探り状態でした。

でも道は広いし、家も広い。空もひろ~~~い。

ハンバーガーにピザ、アイスクリーム、コーラ・・・アメリカを堪能していました。

そうして5年後。

現地の友達もできて英語にも慣れ、楽しい日々を過ごしていたら突然日本への辞令。

まあ、サラリーマンってそういうものですよね。

友達に別れを告げて一路日本TOKYOへ飛び立ったのでした。

 

受け入れられない現実

実は、日本での生活になじむのにずいぶん時間がかかりました。私。

帰国直後は、子どもたちの学校や、新しい生活の立ち上げなどやらなければならないことがたくさんあったので、初めはそれほど自覚をしてませんでしたが、徐々に生活が落ち着いてくると自分の中にぽっかり空いた穴に気づきました。

日本に帰ってきたくなかった

そんな気持ちが自分の中で思った以上に大きくなっていました。

アメリカに住んでいる友達とも連絡をとりたくないし、かといって日本で新しい友達も作る気がしませんでした。

理由は、帰ってきたという現実を思い知るから。

日本のこともアメリカのことにも耳と心をふさいでいた気がします。

貝のように心が閉じこもっていました。

何にも見たくないし、聞きたくない。

ちょっと鬱だったのかもしれないなと後になってから思います。

 

東京暮らしもはや12年

そんな日々も今となっては遠い昔です。

帰国するときに一番心配だったポン太とポン子の中高進学と大学受験。

本の学校に慣れるかな?

友達できるかな?

勉強についていけるかな?

中学受験やティーンならではの悩み・反抗期、それに大学受験など、大変なことはいっぱいあったけれど、忙しさに奔走していたら12年が過ぎていました。

やっぱりポン子の受験が終わったとたん、ほ~~っと肩の荷が下りた気がしました。

少しずつ自分の仕事へもウエイトをシフトしていくことができて、最近は平穏です。

仕事を始めたのも生活にペースができて、よかったと思います。

ほんとにありがたいことです。

 

海外に住みたいかと聞かれたら

子どもたちが日本の学校になじめなくて辛そうなときは「帰ってきたくなかった」という思いや、「もう一度海外駐在にならないかな?」と真剣に考えていたけど、もうその時期は過ぎました。

今は自分と夫のためにどう考えるかな?

日本は便利なんだよね。

言葉は通じるし、食べ物もおいしい。

でもさ、やっぱりもう一度海外に住みたいかも。

アメリカ駐在時の友達夫婦は2度目の駐在に行ってるのよね。

ドイツ、上海、バンコク、そして2度目のシカゴ。

さて、我が家のダーリンはどうでしょうねえ?

今度は夫婦二人で行くんだろうな。

そういえば、その友達夫婦も二人きりだからある意味新鮮!って言ってたな。

話題がないとか(笑)。

でも、そんなセカンドライフも楽しそう。

 

ダーリン
転勤はもうないよ
 

 

え?そうなの?
またまた~~~。

 
どりー

 

 

 

ポチッと押して応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 主婦日記ブログへ
にほんブログ村

 

 

 

happydory.hatenablog.com